オーストラリアで30年近く住みつき、ああ、やりたいことは、ほとんどやっちゃったなあと、とてもラッキーなアタシ。
ホント、住みやすくて、いいい国よ〜って完璧に回顧モードでんな
(息子だって、まだオーストラリアにいるのにっ!!)
アタシは、オーストラリアで映画監督という天職に出合い(このハナシは、しまくりでスミマセン!)、映画監督にしてもらったので、コレから死ぬまでオーストラリアに足を向けて寝られませんって、ホントにそう思ってるよん。
ただね、一つだけ、やり残したコトが、あんの。
2006年頃、アタシは、前作「THEダイエット!」(英題:FAT CHANCE)を作るべく、あがいていたんだね。息子も6歳と小さかったし、しかもシングル・マザー。オーストラリアだって、シングル・マザーは、タイヘンっす。
まあ、大学でボチボチと映像/映画関係
を教え始めてはいたんだけど、このまま何とか、大学に居残って教え続けるには、博士課程
をやった方がいいって言われてさ〜
あんまり深く考えずに、あっそとばかり、博士課程をやることにしちゃったんだよ〜
恥ずかしながら、修士課程は、「FAT CHANCE」のことを書き High Distinction = 首席で2004年に卒業してたから、割と簡単に博士課程の入学と奨学金をもらえちゃったのね。いやあ、生活の保障がもらえて、息子と二人、ホント助かったんだよ〜
ほんでもって、そりゃあ、最初は、必死にリサーチして一生懸命書きましたよ〜
「ドキュメンタリー映画における主観の形成とパフォーマンス性」ってエラク真面目なタイトル。で、我が師、原一男監督の4作品のことを書いてもいい、と論文主査官に言われ、最初は、
ガンガンに張り切っていたアタシ。
しばらくすると、論文主査官は、やっぱり原一男監督作品だけじゃダメと言い出し、ま、そりゃそ〜か、と思いつつ、じゃあ、パフォーマンス性ということで、原監督が、唯一の影響とアッチコッチで喋っているマイケル・ムーア(MM)監督作品の手法も書こうってこコトになったんだ。MMは、当代人気ピカイチの映像作家だったからね〜(特に欧米諸国では、さ。)
ところがっ!!オドロキ、モモの木、サンショの木!アタしゃ、そのマイケル・ムーアでツマズいちまったんだよ〜
MMのインタビューなど読みまくってアタシが、出した結論。「なんだ、コイツ、自分の映画手法については、あんまり考えてないじゃんか!」だったんだ〜ね。
(論文主査官も同意してくれたっ。)
(C) University of Michigan
いや、ね、彼は、自分の語りたい主題やテーマについては、とっても饒舌で、例のマシンガン・トークよ。でも、じゃあ、例えば、あなたの映画にとって<ユーモアの役割とは?>とか、<あなたのキャラの役割は?>などという質問には、・・・・・・ど〜も、今一つはっきりせんのだよっ
オマエ(エラソ〜!!)、「Roger & Me」(ちなみにMMの作品では、一番スキ)の時の自分のキャラは、<どこにもいるジョー=Ordinary Joe>だったんだけど、それ以降、有名になっちまって億万長者のアンタは、もう<どこにいるジョーじゃないだろ>って誰だって思うじゃん。あるいは、<違うんだけど、オレは、敢えてそういうキャラを自分の映画の中で演じているんだ>とか言ってくれてれば、それは、それでいいのよ。でもさあ、MMの答えは、ずっとずっと同じで、「オレは、見てくれる人の代表に過ぎない普通の男。」の一点張り。まあ、メディア戦術なのかも知れないけど、アタシャ、困っちゃったね〜
もちろん、MMが、達成してくれたドキュメンタリー映画に娯楽性を与えた功績は、とっても大きいと思うよっ。
でも、MMは、アタシの博士論文には、大いなる失望だったんだあ・・・
でも考えてみれば、MMは、ミシガン大学中退でジャーナリズムを勉強してんの。仕方ないと言えば、仕方ないのかも知れない。MMの作品は、とってもジャーナリスティックだからね。ジャーナリズムとドキュメンタリー映画を混同されることは、多いんだけど、実は、両者は、似ても似つかないジャンルなんだぜ〜ま、このハナシは、すると長くなるからここでは、ヤメッ。
と、まあ、ここまで長く引っ張ってきたハナシざんすが、MMに躓き、中断していた博士論文をナント
原監督が、教授をしている大阪芸大で再開の運びになり、こんなにウレシイことは、ないっす!ああ、我が師が、論文のキャッチ・ボールをして下さると考えただけで〜
アタシ、至福ですう・・・
しかも論文の主題も一歩押し進めて「ドキュメンタリー映画における虚構の考察」だよ。それも、巷に出回っているドキュメンタリー映画の虚構とは、ちょっと違う視点だよっ!(でも、どう違うかは、ここでは、教えないっと!!)
今さら博士論文でもナインですが、こんなコト、書いたって誰も出版してくれないっしょ。それだったら、論文で書いちゃおうかってコトですね。(頑張って英訳まで頑張りたいですね〜)
しっかし、まあ、ど〜して、こうも金にならないことに夢中になるんでしょ〜金〜
夢中にならないと成果が出せないアタシ、だ〜ね。
ホンマ、困ったモンだよ。
アタシは、オーストラリアで映画監督という天職に出合い(このハナシは、しまくりでスミマセン!)、映画監督にしてもらったので、コレから死ぬまでオーストラリアに足を向けて寝られませんって、ホントにそう思ってるよん。
ただね、一つだけ、やり残したコトが、あんの。
2006年頃、アタシは、前作「THEダイエット!」(英題:FAT CHANCE)を作るべく、あがいていたんだね。息子も6歳と小さかったし、しかもシングル・マザー。オーストラリアだって、シングル・マザーは、タイヘンっす。
まあ、大学でボチボチと映像/映画関係
恥ずかしながら、修士課程は、「FAT CHANCE」のことを書き High Distinction = 首席で2004年に卒業してたから、割と簡単に博士課程の入学と奨学金をもらえちゃったのね。いやあ、生活の保障がもらえて、息子と二人、ホント助かったんだよ〜
「ドキュメンタリー映画における主観の形成とパフォーマンス性」ってエラク真面目なタイトル。で、我が師、原一男監督の4作品のことを書いてもいい、と論文主査官に言われ、最初は、しばらくすると、論文主査官は、やっぱり原一男監督作品だけじゃダメと言い出し、ま、そりゃそ〜か、と思いつつ、じゃあ、パフォーマンス性ということで、原監督が、唯一の影響とアッチコッチで喋っているマイケル・ムーア(MM)監督作品の手法も書こうってこコトになったんだ。MMは、当代人気ピカイチの映像作家だったからね〜(特に欧米諸国では、さ。)
ところがっ!!オドロキ、モモの木、サンショの木!アタしゃ、そのマイケル・ムーアでツマズいちまったんだよ〜
(C) University of Michigan いや、ね、彼は、自分の語りたい主題やテーマについては、とっても饒舌で、例のマシンガン・トークよ。でも、じゃあ、例えば、あなたの映画にとって<ユーモアの役割とは?>とか、<あなたのキャラの役割は?>などという質問には、・・・・・・ど〜も、今一つはっきりせんのだよっ
オマエ(エラソ〜!!)、「Roger & Me」(ちなみにMMの作品では、一番スキ)の時の自分のキャラは、<どこにもいるジョー=Ordinary Joe>だったんだけど、それ以降、有名になっちまって億万長者のアンタは、もう<どこにいるジョーじゃないだろ>って誰だって思うじゃん。あるいは、<違うんだけど、オレは、敢えてそういうキャラを自分の映画の中で演じているんだ>とか言ってくれてれば、それは、それでいいのよ。でもさあ、MMの答えは、ずっとずっと同じで、「オレは、見てくれる人の代表に過ぎない普通の男。」の一点張り。まあ、メディア戦術なのかも知れないけど、アタシャ、困っちゃったね〜
もちろん、MMが、達成してくれたドキュメンタリー映画に娯楽性を与えた功績は、とっても大きいと思うよっ。
でも考えてみれば、MMは、ミシガン大学中退でジャーナリズムを勉強してんの。仕方ないと言えば、仕方ないのかも知れない。MMの作品は、とってもジャーナリスティックだからね。ジャーナリズムとドキュメンタリー映画を混同されることは、多いんだけど、実は、両者は、似ても似つかないジャンルなんだぜ〜ま、このハナシは、すると長くなるからここでは、ヤメッ。
と、まあ、ここまで長く引っ張ってきたハナシざんすが、MMに躓き、中断していた博士論文をナント
しかも論文の主題も一歩押し進めて「ドキュメンタリー映画における虚構の考察」だよ。それも、巷に出回っているドキュメンタリー映画の虚構とは、ちょっと違う視点だよっ!(でも、どう違うかは、ここでは、教えないっと!!)
今さら博士論文でもナインですが、こんなコト、書いたって誰も出版してくれないっしょ。それだったら、論文で書いちゃおうかってコトですね。(頑張って英訳まで頑張りたいですね〜)
しっかし、まあ、ど〜して、こうも金にならないことに夢中になるんでしょ〜金〜

