女性自身

■ヨコ様の心のレシピ~交遊録~の最近のブログ記事

2010年9月29日 (水)

あの「恐縮です」のフレーズで、どんな芸能音痴でも知らぬ人はいない、芸能レポーターの草分けともいえる梨元勝氏が急逝されました。

最近、あの濃いお顔をメディアで拝見しなくなったナと思ってたら、闘病中だったんですネ。

 

先夜、友人、知人の見送りを受けて「しのぶ会」が某ホテルで催され、1000人もの方が出席されたとか。ついこの間、現役バリバリのコロッケちゃんのパーティーの出席者でも800人だったんですから、如何にも人望のある愛される人柄だったんだということをしのばせますね。

実はかく云う私も、御多分に漏れず、梨元氏とはある軋轢があった一人でした!!

例の、世間を賑わせた私の離婚騒動には、彼が深く関わったことが発端だったんです...!?

 

当時は渦中の人物であり、相手(堀越陽子さん)のこともあるし。私はずっと口を閉ざしてたんですがネ。もう時も経たことだし、もともと彼は仕事の鬼、情の深い人間っぽい人柄だったんだとわかった今、私もこうして別れを惜しむ気持が湧いてきたんでしょう。

以前からギクシャクしていた関係に、いい加減疲れてしまった私は、とうとう我慢出来ず家を飛び出したワケ。もともとプライドの高い相手は「まさか私が家を出るとは!!」と、腹に据え兼ねたんでしょうネ

昔、所属していた親しいプロダクションの社長に相談して、私にお灸をすえる為の「チーム」が出来たようです。敢て断言はしません。飽く迄も推測として聞いて下さい。

 

当時、新しいプロダクションを立ち上げ、現在も私とパートナーシップを発揮して頑張ってる、我がTYプロモーションの代表も、まだその頃は女優を引退した直後で、私の「新しいお相手」では!?と、かなりしつこくメディアにマークされたのです。

遂には、私や彼女の全く知らない関係者のコメント等が続々と出てきて、彼女の身内の方にまで害が及びはじめたわけです。

さあ、そこで彼女は勇を鼓して梨元氏に会見を申し入れたんですネ。そして、あまりの一方的報道に納得出来ない。相手の言い分ばかり取り上げているが、こちらには一切取材しなかったのはあまりにも意図的すぎます、等々。

二人で色々と話し合ったところ、独断的だったと非を認めたそうです。

 

以来、季節の挨拶を交わす打ち解けた関係になり、今回の「しのぶ会」にもお別れに招かれたワケ。彼の様なベテランでも男気故か、思いこみで動くこともあるんですネ。

その「しのぶ会」に「前の女性(ひと)も顔を出すかもしれないヨ!!」とふざけて言ったところ、まさに出席してたそう。とても綺麗になられてました、と代表が言ってました。まあ色々な人が出席してたそうで、流石梨元さんの付き合いの広さを示しています。

離婚騒動のさ中、明治座で松井誠さんの公演に出演する事になり、劇場ロビーで制作発表があり、松井さんと西岡徳馬さんと私の三人が並んで座ったんです。

その開始時間の一時間も前から、記者席の真ん前の真正面に陣取って梨元さんは私の登場を待ち構えてました。そして、国会の野党の口撃よろしく、ガンガン私を攻めてきて、挑発された私がまたムキになって反論、その部分だけが直後くり返しくり返しテレビで流れ、自分の軽率さに後悔したものです。

舞台の話題には殆ど触れてもらえず、松井さん、西岡さんには本当に申し訳なかったんですが、二人とも「気にしないで、どうってことないですヨ!!」と、かえって慰められ、励まされました。

 

お別れの会場には、梨元さんに攻められ?いじめられた?芸能人も多勢出席してたそうだし、別れの言葉を述べたショーケン(荻原健一)も、喧嘩相手だったそう。梨元さんも今頃は天国で「恐縮です!!」と言いまくってることでしょうネ。

今思えば、梨元さんのような個性的な、敵に回せば厄介だけど、味方になればこんな情の厚い、頼もしい、そんな人物は見かけなくなりました。もちろん、他に親しくさせてもらってる芸能レポーター、評論家の方も何人かいますが、今日は、梨元さんとのお別れでおわりにします。では又。

 

黙祷。

2010年6月11日 (金)

この一週間、GACKT公演を終えてから、早速TYプロのレッスンに顔を出したり、お付き合いが続いたり、恒例の「人間ドック」入りしたり、多忙な日々でした。

そして7日には、GACKT氏とは180度キャラクターの違う、コロッケちゃんの芸能生活30周年のお祝いパーティーが、某大ホテルの大宴会場で華々しく開かれたんです。

 

最初コロッケちゃんは、そんな大きな会になるとは知らされてなかったそう。その大宴会場の下の階に、その5分の1位のスペースのホールがあり、囲み取材のあと、30周年を祝ってくれる100人位の友人たちがその客席で待っていると聞かされたんだって。

ニセ司会者の呼び出しで、芸能界デビュー作「ちあきなおみの喝采」のメロディーにのって、ロングドレスに大きなホクロで登場した彼は、「アレッ?」。

客席にいたのはたったの一人のお客。その客が薄暗い席から花束を持ってステージに近づいてきたんだが、何と熊本から上京してきたお母さん。

首をかしげながら花束を受け取った途端、「実は、もう一つの場所に移動して下さい」との誘導で、ようやく我々の待ち構える会場に近づく様子。

そのやりとりを、会場に設置された6枚の大スクリーンでクスクスと見守っていた我々の前に、本物の司会者徳光さんに呼ばれて、キョトンとして「ちあきなおみ」が登場。

そこには700人のお客様。客席を見るなり「涙ポロポロ、ワーンッ!!」「テレビで観てる人ばかりだ!!」と、如何にもサービス精神を忘れないコロッケらしいコメント。

 

総立ちの我々の拍手と、徳光さんに追い立てられる様にお色直し?に引っ込んで、再び登場の舞台の裏では、スタッフたちの操り人形の様に大騒ぎしながら着替えてたんでしょうね。

再び登場した彼は、オール金ラメの上下で、光り輝いた姿。これ又全員、割れんばかりの大拍手。今、芸能界の「ドン」とも言われる大芸能プロダクションの社長たちが次々と登壇。平尾昌晃さんの音頭で大鏡割り。

コロッケの生い立ちから、これ迄の歩みをスクリーンで観ながらのひととき。そして、徳光さんの案内で各テーブルを回りながら、皆のお祝いを受けるコロッケちゃん。私がお祝いを言ってる間、コロちゃんの目は充血し、頬から首筋には汗が流れ落ちてましたネ。

私は思わず「徳光さん、これからこうして会場全部回るんですか?700人も大変ですネ」と余計な事を言ってしまいました。

トイレに立った私は、皆のテーブルを回り込みよけながらの体で、余りの来賓の多さに、自分のテーブルに帰り着くのも大変。トイレに立つのもはばかれる状態で、皆よく我慢してるナと感心しきり。

舞台の真正面のテーブルに陣を張るのは、歌謡界のスター集団。その中央でニラミをきかす北島三郎さん。最初「サブちゃん」の物真似をし始めた頃は、ハラハラ、ヒヤヒヤだったとか。

で、「物真似する皆さんの許可を得てるの?」と私。

「いえ、前もっては誰にもお願いしたことはなかったです」とコロッケちゃん。

図々しいというか、神経が太いというか、大らかというか。

でも今では、ごく何人か!?・・・・の人以外は皆さん「宣伝してくれえt有難う」のスタンスの様ですネ。五木ひろしさんもニコニコして帰っていったしネ。

まあ、それにしてもコロッケちゃんの交友関係の広いこと。演歌、歌謡界から格闘界の大物。映画、TV界の男女優、ベテランから若手迄。私のテーブルには北島三郎さんのお嬢さん「水町レイコ」さんも。

 

結局、極く限られた皆さんとしか挨拶出来なかったけど、私も、俳優の皆さんは大半の方と御一緒したことがあり、歌謡界のスターさん達ともかなりの皆さんとご一緒してたナアと、結構この世界で長く生きてるんだと、実感しましたネ。

でも「芸人コロッケ」ちゃんの、人柄、誠実さ、謙虚さ、気配り、芸への精進、どれをとってもかないませんがネ。

彼とはこれからも又おいしい酒を酌み交わす友でいたいナと、つくづく思いながら岐路につきました。

コロッケちゃん、芸能生活30周年、本当におめでとう!!

 

2009年12月 7日 (月)

このところよく、毎日横内さんに会っていますよ!という挨拶が多いですね。

もちろん私自身は、そのわけを知っています。

あのあまりにも有名な(?)国民ドラマ
「水戸黄門が再再再再再再・・・・・放送されており、それに私が出演しているってことです。

日本中の、いやハワイ、ロス、リオ等必ずどこかで再放送されている番組なので、誰かは見てるんですよね。

俳優てのは「現在どう生きて、どう演じているか」を、皆さんに観てもらい、評価されるものであって、何年も昔の姿をさらされるのは嬉しいことではないんですが・・・・・・。

まあ、この「水戸黄門」に関しては、もう慣れっこになってますからネ。TV界は視聴率が神様だけど、恐らく再放送回数、再放送視聴率は、ベストワンでしょうネ。

 

先日偶々放映を観る機会があったんだけど、やはり若々しくて...いささかくすぐったかったです。でも声は、今と全く変わらず低音。

相方の里見浩太朗さん、まだスラッとして小顔でりりしくって、私の方が何歳か年長の兄貴分に見えてたナ。

実際は私よりずっと先輩です!!

でもその里見さんがいまや黄門さまを演じているのですから、時の流れは止まらないと感じます。

 

映画界では最近、小栗旬君や若い人達が時代劇に挑戦したり、NHKの大河以外でも意欲的な時代劇がつくられています。

わがTYプロモーションのレッスン生や俳優さんたちも、時代劇の基礎は必ず学ぶべきだと常々云っているんですが・・・・。

皆さん現場で簡単にできると思っているのか、学ぼうとしないのが残念!!

日本人なら誰だって時代劇できそうに思うけど、これがそうはいかないんです。

 

躰になじんだ着物の着こなし、帯の締め具合、鬘と顔の一体感、刀の差し方、抜き方、収め方、殺陣、槍の薙刀の立ち廻り、立つ、坐る、人を斬る、刺す、斬られ方、殴る、殴られる、侍、町人、公家のしゃべり方、歩き方、走り方、乗馬、戦国物、江戸、大奥、幕末等々、女性は、今流行の「大奥」の女性の内掛けのさばき方、歩き方、短剣の使い方、喋り方。

時代劇を演じるにはこんなにクリアしないといけない課題があるんです。

時代劇って奥行きの深いものですヨネ。

皆さんもそんな裏側の背景を感じながら、男優さん、女優さんの演技を観るのも面白いかもしれませんね。

もうしばらく放映続きそうだから、若いころの私の(格さん)観てみてくださいネ。

2009年12月 1日 (火)

我がTYプライムカンパニー(中高年の演劇レッスンクラス)も、皆さんだいぶ慣れてこられた様で、笑いの絶えない楽しい雰囲気で毎週日曜日レッスンに励まれてます。

 

最初、皆さんがどれ位言葉に対して解釈、表現、声の特徴等、持たれてるのかなと、「朗読」の中から知ろうとしてみて驚きました。

やはり伊達に人生を歩んで来られたワケじゃない。

そりゃ魅力的で味わい深い表現をなさる方がいて驚かされたものです。

人前で朗読したのは小学校以来という人、そこそこ劇団やら養成機関で学んだことのある人、何十年もエキストラ出演のキャリアのある人、様々ですね。

素直な人はどこまでも素直な人柄をにじませ、誰よりも先に前に前に出て行こうとする行動力のある人もいますネ。

頑固でなかなか人を受け入れず、人を否定し、自己を主張する人や、お調子に乗ってすぐ人の言辞に口をはさみチャカすことで人気者だと錯覚している人。

いや実に様々です。

 

専門的に学びたい人には、物足りなかったりジレッたかったりするかもネ。

でも、人生ではじめて人前で自分を表現したり、気恥ずかしさとたたかいながら何かを得ようと頑張っている人を、
私は大切にしたいとはげましたいですネ。

集団の中でものを学ぶということは、学ぶ方も伝える方も結構気苦労の多いものです。

若い人には、伝える私も断定的にカリスマ的に押さえ込んでも、素直に従う柔軟さがありますが、どうも年長組となると皆さん、頑迷(?)ですからネ。

なかなか自分の非力を認めようとしません。

まあ、そんなこんなで、スタートして間もない現在でも、早々とリタイアしていかれる方も何人か出て来ました。

 

でも皆さんに楽しくレッスンして貰う為にはどうするかと、
日曜日の全レッスン終了後には夜半までコーチたちとミーティングを欠かさずやってます。

ミーティングにしてはコーチも私もいささか飲みすぎかも知れませんが......。

最近、朗読は小休止。

老婆軍団のくりひろげるコミカルな台詞の楽しさを、軽いタッチで演じて貰おうと、お芝居のレッスンに入ってます。

こうして皆さんに演ずる楽しさを味わって貰い、何か皆で舞台で上演する日が少しでも早く来る様頑張らねばと、思ってます。

 

12月は、大晦日までスケジュールは目一杯。

毎週日曜日は、朝11時から夜10時迄連続。

私個人としては、歌レッスンや、仕事での旅、ポスター撮影から友人の結婚式。

 

中旬からは来春1月公演の稽古がはじまり、我がTYプライムカンパニーの恒例の忘年会。

他の忘年会への出席。

よくこうも忙しく過ごせるものとだと我ながら感心します。

 

このブログの読者にも、未だ未だ元気の余った好奇心旺盛なお父上、お母上、又若すぎるおじいちゃん、おばあちゃんのおられる方居るでしょう?

是非すすめてみてネ!!

 

2009年11月23日 (月)

久しぶりの新幹線。
このところ飛行機を利用することが多かったので、約二時間半のゆったりした移動は、読書や書きものに時間をすごせて有難いですネ。

想えば、これまでこの新幹線に一体どれくらい乗ったことだか――。

ン十年前、私の青春時代にNHKの朝ドラで演じた鉄道員にちなんで、新幹線乗客1億人目の人をお祝いする記念イベントがありましてネ。私はその審査員をした事があるんです。
私は水戸黄門から暴れん坊将軍と、切れ目無く京都の撮影所に通ってたので、まあ1週間に1往復(東京~京都間)として1500回は乗車したかナ?すごいですヨネ。

暴れん坊将軍.jpg

この往復に使われた時計を総計すると7500時間!日数だと320日有余。
1年分ですネ!!

果してこれ丈の時間有意義に過ごしたかと云えば、情けないと怠惰に過ごしてきたとしか云えませんネ。今思えばもったいないなの一言です。
今は、一日一日を目一杯、あわただしくおくっています。
これしなきゃ、あれもしなきゃと、時間に追っかけられてます。

でも決して人生を無駄に喰いつぶしてきてはいあないと思いますネ。
人生に前向きで、好奇心にあふれた中高年世代の方々とのレッスンや、若手中堅世代のレッスンに加え、私自身今迄体験のとぼしい、TVバラエティや本格ミュージカル等に挑戦したり。
夜は夜で、仲間たちとの一杯がこれ又楽しく、ついつい時を過ごしていささか寝不足気味。
もう若者の様に気力体力があり余っているわけじゃないんだから、少しは用心しないとネ。

そう云えば、最近又夕方4時から、私が格さんを演じてた頃の「水戸黄門」が再放送してますネ(関東だけだと思いますが)。

水戸黄門.jpg

自分では今とそんなに変わらないじゃないかと勝手な思い込み!!
ところが実際は、ン十年前の姿、変わってないわけないですヨネ!
映像は、現実の時の流れに関係なく、その当時にあっという間にタイムスリップさせてくれます。

何日か前迄、ポレポレ東中野で、岡田茉莉子さんの特集上映で、「さらば夏の光」が上映されていました。

さらば夏の光.jpg

茉莉子さんの御主人の名匠吉田喜重監督と数名の精鋭スタッフ、茉莉子さんと私のたった二人丈の日本人俳優、他は現地オーデションで参加したフランス、イタリーの男、女優達。
約二ヶ月間のヨーロッパ7ヶ国のオールロケ。私はまだ26才かな?茉莉子さんも30代半ば魅力あふれる美しさ。私も結構二枚目だったんですヨ!!

まあ、そんなこんな懐かしみつつ、チャンスを夢見てレッスンに励む若者から中堅の彼等を、何とか世に送り出せたらと願いつつ頑張ってます。

そろそろ新大阪。今日は泊まる間も無く、一仕事終えたら夕方にはトンボ帰り。大阪北新地の華やかなネオンを見ることはなく、夜はいつもの様に、青山骨董通りのカウンターで一杯かナ。

2009年11月13日 (金)

又又、私たちの誇るべき先輩、森繁久彌さんが旅立たれました。森繁久弥.jpg

このところ、このブログで政界から中川昭一さん、芸能界から長門裕之さんの愛妻、南田洋子さんと、続けてお別れの言葉を述べさせてもらった矢先に、今度は森繁さん。寂しい限りです。

私の出先に事務所から「フジTVからコメント依頼がきたので、会社に顔を出して欲しい」との連絡。どうやらコメントどりにTVクルーが出向いてくるそう。

ところがその夜は、例の日本中を震撼させた、二年半の逃亡生活が決着、市橋が拘束された事で、報道クルーはそちらにかかりっきりで手が足りなくなり、私のほうから局に出向いてのビデオどりとなったのです。

あわただしい車の中で、生前、森繁さんにお目にかかったのはいつの事だっけと想い起してみました。

森繁さんは青年時代、NHKアナウンサーとして旧満州で活躍されてたそうで、私も満州、大連生れで世代は違っても昔から親しみを感じていたものです。

水戸黄門のスタート以前、東野英治郎さんに決定する前、森繁さんの黄門さま説が強かったこと。水戸黄門にゲスト出演された折の、森繁さんと東野さんの丁々発止の演技バトル。撮影の合間の楽しい芸談。

北大路欣也さん主演の「子連狼」に森繁さんと私がゲスト出演した折、あの哀調を帯びた森繁節で唄われた子守唄が、長ーく長ーく続く中、監督が「カット!!」の声をかけようにもかけられなかった事。

13年前、名古屋御園座で、座長の西郷輝彦さんが急病で倒れ、急遽私が代役をつとめた時の事。

「森繁ファミリー」の息子「西郷」さんの見舞いに、東京から駆けつけて来られた事。

終演後、楽屋のシャワーで頭がシャンプーの泡だらけのままに、竹脇無我さんが、「森繁のおじいちゃんがあいさつしたいとみえてるので、顔出して欲しい」との声で、浴室から飛び出してきたこと。

森繁さんは涙目で、「西郷に代わって、よく頑張ってくれたネ。有難う!!」との言葉。そして「あれだけの台詞、本当に一晩で覚えたのかい?僕にはとても出来ないナ」とねぎらいの言。

等々、昨日のことの様に想い浮かぶまま、キャメラの前で色々と語らせて貰ったけど、翌日TVで流れたコメントは、ほんのひとこと。

でも、皆さん電話でのコメントの中で、私はナマで語れたのですから、森繁さんには私の気持わかっていただけたと想ってます。

不世出の名優、森繁さんの様に、人生の語り部として、ワビサビをサラリと演じられる役者になれる様、精進しようと想います。どうぞ安らかにおやすみ下さい。

11月12日記 横内正

2009年11月 8日 (日)

私がヨコ様の「奥のヨコ道」コーナーで、数回にわたって魅力的なゲストを迎えて対談してる事、皆さん御存知ですヨネ。

女性自身さんの誌上に先ず掲載されてからブログにおこすので、読んだ方もいらっしゃるでしょう。

これ迄、福士誠治君に始まり、みのもんたさん、GACKTさん、寺脇康文さん、
誌上掲載しなかった三波豊和さんと藤吉久美子さんの「椿山課長の七日間」コンビ。

そして今回企画してたのが、「必殺シリーズ」で一躍名を馳せたM.Kクン。
ところが残念なことに、これは没になってしまいました。

M.Kクン自身が固辞されたので仕方ないのですが......。
私はスケジュールの調整さえつけばOKと、安易に考えていたんですネ。
でも彼は、女性週刊誌にかなり拒絶感を持ってたのが原因だった様でした。

それは彼の離婚にまつわる家庭内のトラブル、女性問題等、
彼にかなりのダメージを与える取りあげ方をされたんでしょう。
私自身、世間をにぎわせた離婚騒動の発端は、某婦人隔週誌だったので、
その痛みは充分わかります。

私の場合、TV程誌上では騒がれなかったし、
その隔週誌で、今度は当方の心情、見解、生き様等取り上げて貰い、
若干胸のつかえはとれたかも知れませんネ。

又、ネタにされてもおかしくない「女性自身」さんが、女性側に立つのではなく、
男性側の私に、公式ブログや対談、レシピ紹介等のコーナーを提供して下さり、
今も継続している事は嬉しい限り。

そこで、つい調子に乗って、M.Kクンも引き受けて貰えるものと思い上ってしまった様です。
それに、彼の当時受けた傷は余りにも深かったんでしょうネ。
飄々として冗談を飛ばしながら、話を楽しく盛り上げる彼の様子からは決して痛みを感じさせません。

かなり以前、彼と二人で酒を飲みながら語り合ったことがあります。
そこで私は、彼の(男の涙)を見た事、今も鮮烈に覚えています。
又、私の騒ぎがようやく収まった頃、
大阪制作の上沼恵美子さんの「快傑えみチャンネル」にゲスト出演した時でした。
関西のタレントさん独特の、濃いツッコミで、私をいじくるだろうと覚悟はしてたんですが、もう一人、ゲストで私の隣に坐ってくれたのがM.Kクン。

自分の体験を面白おかしく語りながら、私が矢面(ヤオモテ)に立つのを見事にかわして、会場を爆笑の渦に巻き込んでくれました。

気配り豊かな実にさわやかな男性です。
そんな彼が、少しでも心をやわらげて、私と楽しく語り合える対談が実現出来ればナと、今もずっと願っています。

そして近々、是非、仕事を忘れて、酒をくみかわしませんか?

2009年11月 2日 (月)

今日は思いがけない人から、思いがけないハガキが届きました。

私が水戸黄門に続いて19年に渡って出演した『暴れん坊将軍』で御一緒した名優・(故)船越英二さんの御子息、船越英一郎さん。

いや、本当は英ちゃんからではなく、令夫人松居一代さんからの英ちゃんの出演番組案内でした。

一時期、TVの二時間ドラマで民放各局で競って放映していた山村美紗シリーズ『京都○○殺人事件』で、何人かの俳優諸氏と競演、私も20作以上レギュラー出演していた『狩矢警部』覚えてる人いますか?

 

流石に原作は殆どTV化し尽くされ、オリジナルの作品で『狩矢警部シリーズ』がある位かナ?
その狩矢警部を船越英一郎さんが演じているわけです。

私が狩矢警部を演じてたシリーズの中で、祇園芸妓シリーズでは、
彼は男衆さん(芸妓の着物を着付けたり、芸妓さんたちの雑務をこなす職業)を演じてました。
その主人公狩矢を船越英ちゃんが
流石達者な役者で、狩矢の人物像を、彼独特のコミカルな味付けで人間味豊かに演じてますネ。

その英ちゃんの奥さん松居一代さんのmemoKAZUYOだより』が、英ちゃんの顔写真入りの手造りで、突然飛び込んで来たのです。

狩矢警部シリーズ』と、『その男、副署長』の宣伝ハガキでした。
日頃から「KAZUYO」さん、少しでも多くの人に観て貰える様、頑張ってるんですネ。

ほほえましいナと思うと同時に、松居さん、本当に英ちゃんの為に内助の功shineをつくしてるんだナとつくづく感心しました。

 

唯、以前狩矢警部役で一緒だった私のもとへ御亭主の狩矢警部のコマーシャルを届けるのはちょっと英ちゃんに惚れすぎかナlovely? といささかヤキモチを焼きましたがネ。

でも「KAZUYO」さんのひたむきな可愛さを買って拝見しようと思います。
皆さんも是非チャンネルを合わせましょう。

tv 11月2日夜九時、6チャンネル『狩矢警部シリーズ7

その男、副署長毎週木曜日夜八時放映

英ちゃん、一代さんといつまでも仲良くネsign03 

2009年10月26日 (月)

連日、ノリピー事件、押尾事件でもちきりのマスメディアに突然の訃報。

中川昭一さんの葬儀が終わったと思ったら、今度は長門裕之さんの愛妻・南田洋子さんが長い闘病生活の末、亡くなられました。

新聞の見出しやらTVのワイドショーでの報道に、どれ程長門さんの悲しみが深く大きなものだったか、ヒシヒシと伝わってきましたネ。

 

実は、南田さんが亡くなられたのが21日。その1週間前の14日に、明治座の川中美幸公演を観に行ったんです。

それに長門さんも出演中。

普通、「観てますョ!!」って川中さんと長門さんの楽屋に顔を出すのに、その日に限って楽屋裏は忙しいだろうナと思い立寄らなかったんです。

それと長門さんの胸中を想うと、はげましの言葉も束の間のなぐさめでしかないだろうからと、遠慮してたんです。


こんなに突然南田さんに先だたれるんだったら、ひとことでもエールをおくれば良かったナと今更ながら悔やまれます。

 

長門さんは私よりだいぶ先輩ですが、何故かその「人なつっこい明るい人柄」に惚れている一人です。

昭和九年生まれ。世間では「おじいちゃん」。

でも皆さん誰にも負けない男の色気をかもし出していますネ。

 

藤村俊二さん、坂上二郎さん、財津一郎さんと多士済済。

最近お会いしてないけど皆さん、悠々自適の生活を過ごされているんでしょう。

 

長門さんの大邸宅で、御二人揃って大好きなマージャン三昧だろうと思ってたら、何年間も南田さんの看病に明け暮れてらしたわけで......。

 

そして、南田さんとの永遠の別れ。死別程つらいものはないでしょうネ。

 

御二人の『闘病日誌』がメディアに露出された事については、巷間、賛否両論取りざされた様ですが、南田さんへの彼の愛情の深さには誰も口をはさめないでしょう。

 

俳優の話しことばは、ともすれば饒舌に聞こえ、真実も伝わりづらい場合もあります。

サービス精神旺盛なコメントや表情から、又、映像の露出過剰を色眼鏡をかけず、素直に御二人の「キズナ」を感じとって欲しいものですネ。

 

南田さんは旅だたれました。

アキオさん(長門さん)も、お気持を立ち直らせて、我々後輩、仲間に演技の真髄を示してくれる日が近い様願っています。

 

長い間お疲れ様でした。

ご冥福をお祈り致します。

 

2009年10月12日 (月)

政界でも屈指の論客で、年齢を超えたキャリアと人望を持たれていた人だけど、
思いがけなく早世されてしまいました。

何故、中川昭一さんと私? と思われるでしょうネ。

中川さん御自身も私の事を覚えておられたかどうかも定かじゃないしネ。

告別式の弔問客の中に杉良太郎さんの顔も見え、
「アァ、水戸黄門の初代の助さん、格さん両方と御縁があったんだナ」
と、今更ながら懐かしさと親しみの想いがわきあがってきました。

 

御尊父の中川一郎さんが突然他界され、急遽昭一氏が政界に転身されたわけだけど、
どうしてか私がその中川昭一さんの応援演説をおおせつかったんです。

もともと私は政治への関心は多感(?)な青春時代にはおおいにあったものの、年を経るに従って薄らいでいくなかに、まさか応援演説を引き受ける事になるなんてネ。

中川昭一[1].JPG

当日は、俳優座に所属してた頃の先輩「近藤洋介」氏と、年齢は一歳上だけど後輩になる「大出俊」氏との三人で、昭一氏の地元釧路の地を降りしきる雨の中、踏んだわけです。

演説会場は、舞台公演では大変出来ない異様な位の熱気につつまれており、
大歓声の中迎えていただき、全くのアドリブで何か懸命に皆さんに
「昭一さんをよろしく!!」
と支持を訴えた事を覚えてますネ。

 

そのあと、昭一氏の後援会長の御宅での晩餐。
オホーツク海で獲れたという、洗面器に手足がくっついている様なドデカイ毛ガニや、
寿司屋のカウンターで見かける木折にギッシリ並んだ生ウニ、イクラの数の多さ。

おおいに御席は盛り上げました。
そんな酒席の想い出に、中川さんの酒での失敗談が重なって、政界でのストレスの多さを想像したものです。

衆院選での大敗、御自身の敗選と、気の休まる間も無かったことでしょうネ。

どうか心安らかにおやすみ下さい。

御冥福をお祈り致します。合掌。

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プロフィール

横内正

■横内 正(よこうちただし)
■1941年7月1日生まれ、福岡県出身。俳優座養成所・第13期生。人気時代劇『水戸黄門』(TBS)の格さん役、『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)の大岡忠相役ではお馴染み。近年は、NHKの大河ドラマ『風林火山』をはじめ、舞台、ラジオ、バラエティー、旅番組などに精力的に出演。また、その渋く低音の魅力で声優業や多くのナレーションも手がけている。趣味は500玉貯金、特技は餃子を速く作ること。

■TYプロモーションホームページ http://www.ty-pro.com/

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