女性自身

■ヨコ様ただいま本番中の最近のブログ記事

2012年1月31日 (火)

明治神宮に、この一年間の平穏と昇運を願ったのがついこの間。
それが、もう2月に突入。
子供の頃は、過ぎ去る一日の何と長く感じたことか。
それが、今はまるで超音速ジェットに乗ってる様。

そのくせ、私は生来のナマケ者。
芝居は好きだが稽古は嫌い!?
なのに、レッスンでは皆に稽古しろ、勉強しろと、口をすっぱく繰り返してるんですから、勝手ではありますネ。

久しぶりに、この1月は舞台公演も休み、海外での正月も自粛。部屋にこもっていました。
有り余った時間を、この際だから、これ迄の何十年もの間にたまった出演ビデオの整理、編集にあてる事にしたんです。

今の鮮明なデジタル画像に比べて、アナログでピンボケの色素の落ちた画像を見ながら、時の流れを感じさせられた次第。
自分の若い若い頃の懐かしい作品を眺めながら、この先もう誰の目にもとまらないだろう一コマ、一コマに、感慨深いものがありました。

私たちの仕事は、瞬間、瞬間、演じているその場から消え去っていく、形の残らない芸術であり、仕事ですからネ。
映像を見ても、過去の影ですからネ。

まあ、劇場で観る映画、ツタヤのDVD等、全て影を楽しんでるわけです。映画や、TVドラマはともかく、ライヴの舞台迄記録される時代ですが、そこからは、俳優のナマの息づかいなんか伝わる筈もないんですが......。

しかし、テレビの始まりは、プロレス中継か、歌舞伎中継を、1台のカメラを据えっぱなしで放送してたんですからネ。
その頃共演した皆さんの姿を懐かしく見入ってると、大女優と評される方々と共演、中には熱い!ラブシーン等もあり、私も結構イケメン系の俳優だったんだナと、秘かに鼻をヒクヒクさせたものです。
いまだに驚く程の美貌を保っている方もいるし、すっかりおばさんに、又、老俳優の風格を漂わせている方も。

まあ、余りの本数の多さに、この先、ビデオからDVDに移し替える作業も、間に合わずに、途中で映像は消えていってしまうんでしょうが......。
ですが、過去の映像は忘れて、私自身、まだまだ一瞬の輝きを追って、ステージや画面から皆さんに見ていただけるよう頑張ります!
さあ、2月は、鬼は外!福は内!からスタートです。では又。

横内 正


2012年1月17日 (火)

年明けて、事務所恒例の日曜レッスンが始まってもう2回目。昨年は、12月に入るとあの「水戸黄門」終了騒ぎに明け暮れ、(知る人ぞ知るですが)やっとそれも、もう過去の出来事として消え去っていった様です。
実は私は、レッスン場まで電車で通ってるんですが、ついこの間まで、駅のホームの壁や、電車の吊り広告に、やけに目についたのが「水戸黄門」のDVD発売の宣伝でした。
それも、私が出演してた当時のシリーズで、その頃の若い若い格さんの私が、東野さんの黄門さまと、里見さんの助さんと楽しげに旅してるスナップが印刷されて。
まあ、便乗企画でしょうが、「これでもう製作は終わったんですよ、今のうちに記念として購入したら如何?」ということでしょうネ。週刊誌の見出しに名前が載るのもそうですが、やはり、皆さんの目にされる広告の真下に本人が立ってるのも、面映ゆいもんですね。
レッスンでは、時代劇には欠かせない日舞講座も常設し、なるべく皆も習える様な環境をつくってるんですが、なかなか積極的に習う人は少ないですネ。
以前、ワークショップで、立ち廻り(殺陣)の短期講習をした時は、全員参加といっても良い位、男女合同で稽古したもんですが。皆、努力の割には即、成果の見えない習い事は敬遠しますネ。まあ、これ程TVから時代劇が撤退する現実を見れば、意欲が失せるのはわからなくもないですが、やはり寂しいですネ。
しかし、舞台も映画も時代劇を見捨ててません。今年スタートした、NHK大河「平清盛」で、松山ケンイチさんが、熊の原点の様な、武士の剣の舞を舞ってましたが、恐らく特訓した事でしょう。
外国人から見たら、日本の俳優なら誰でも、日舞や能、サムライ・忍者の立廻りが出来るものと思ってる様です。まあ、着物が身体になじまない様じゃあ、日本の俳優なんて云えませんからね。今や、国際スターの一人、あの真田広之さんも、子役で水戸黄門に出演、私と共演したんですヨ!
折角、時代劇をそこそこ知ってる私から、彼等がもっと何かを盗んでくれたらナと、これからも教材を選択して指導していこうと思ってますが。
最近の舞台を観ると、立廻りというよりアクション、スピード感、モダンな現代風デザインの衣装と、基礎等なくても成立するものが溢れる一方です。でも、どう現代風にアレンジしても、そこに流れる源流は、これまで先輩諸氏が作り上げ、守り続けてきた基本である事、わかってほしいですネ。
いくら「大奥」が新解釈でつくられたからって、まさか「襖」を足で開けるなんてしないでしょう?いや、ひょっとしたら......。この間観た舞台「大奥」では、女優さんたち、「打ち掛け」引きずって舞台を走りまわってたからナア。
まあ、こんな風に愚痴をこぼして年寄りあつかいされたくないので、これでおしまい。
私自身、今年上半期に控えている作品は、外国物を日本に翻案した時代劇と、歌舞伎界の出演者たちに加わった時代劇と、時代物が続きます。まだまだ学ぶことが多そうで、楽しみですネ。
次回は、舞台裏での私の知られざる素顔?をお見せしようかと思っています。
では又、近々!

横内 正

2012年1月 6日 (金)

明けましておめでとうございます(?)
待てよ。
果たしてこんな「めでたい」なんて云って良いのかナと、先ずそれが頭に浮かんでしまいます。
いざ年賀状を前にして、ためらったり、戸惑ったりした人も多かったでしょうネ。
私も例年、400枚位書くのですが(直筆ですぞ!)、今年は迷いながら、ごく限られた枚数だけで失礼することにしました。
本当は、こんな時だからこそ、明るく、励ましあって、という想いもあるのですが、被災者の心情を思うと、やはりためらいますね。

そんなこともあってか、今年は賀状頂く枚数も、かなり少なかった様です。まあ、新年というよりもう寒中見舞いですがね。

今年も恒例の参拝に行ってきました。
一昨年は伊勢神宮、昨年は名古屋の熱田神宮、今年は通常の明治神宮。
大勢の人並みにもまれながら、若者や外人の姿が多いのに驚かされました。
それに、私の様に連れもなく、一人での参拝は、何だかわびしいものがありますネ!?

もう少し以前は、私も芸能人真似ごとの様に、毎年正月は、ワイキキやゴールド・コーストを散策したものです。
でも、今はすっかり日本での正月を寛いでいる次第。
まあ、昨年、一昨年共、正月早々から名古屋の舞台に出演してたこともありますが。

去年の仕事納めは、久しぶりに映画に出ましたが、その前日迄、懐かしい「水戸黄門」への出演。
多くの方々から「拝見しました、面白かった」とか「白いヒゲが似合ってた」とか「黄門様が二人いるみたいだった」とか、色々な感想が届き、打ち切りにはなったけど、日本中にまだまだ「黄門ファン」は健在なんだなあと、感慨深いものがありました。

最後の黄門様‐里見浩太朗さんと私の対談が掲載された本誌「女性自身」読んでいただけたかナ?
ロケやセットでは、一番楽しそうに仲間達と語り合いながらカメラの前に立ってたのが里見さんでしたね。
もうだいぶ高齢ですが、まだまだ現役OK。
日本中の黄門ファンの為にも、パナソニックが駄目なら、どこかがスポンサーになって、また、スペシャルがつくれたら、皆さんに喜ばれるでしょうがね。

さあ、8日からまた、若い人たちとのレッスンがはじまります。
失礼、50代以上のプライムカンパニーの皆さんも。
皆さんとても熱心だし、教えがいがありますネ。
安易に楽してスターに!といった若者たちじゃなく、地道に堅実にレッスンする真摯な彼等が大好きです。
今年辺り、新たに、又堅実に俳優の道を歩もうとする若者たちや、第2の人生に夢を馳せる年配の仲間達が門を叩いてくれたらなあと、期待しつつ、いざスタート!!
今年もよろしくお願いします。

平成24年1月6日                       横内 正

2011年12月16日 (金)

横内:「それにしても落馬の話は、今日初めて聞いたよ。"マイペース浩ちゃん"と、僕らは言うんだけど......」

 里見:「"駆けずの浩太朗"というんですね(苦笑)

 横内:「浩ちゃんは何があっても走らない。たとえ遅刻しても「おはよう~」って、ゆっくりなんですよね」

里見:「僕の座右の銘は『ゆっくりと一歩』なんですよ。映画をやっていた間、歌舞伎界からきた先輩たちがいっぱいいて、ある人は人気がなくなり、ある人は死に、ある人は役が消えたり......」

横内:「その意味では、浩ちゃんが最後の映画スター」

里見:「いやいや、でも、そういう先輩たちを見ていて、はたして、里見浩太朗という役者はいつまで芸能界で飯を食ってつけるのかなと思ったのは40代後半ですよ。ところが、助さんをやり、『長七郎江戸日記』をやり、年末時代劇の『忠臣蔵』があった。そのときに、人間は焦らなくてもゆっくり日々、1日1ミリちょっとずつ進んでいれば消えることはないんだな、なんて思ったことがあるんです」

横内:「ああ、なるほど」

里見:「そのとき『ゆっくりと一歩』という座右の銘が浮かんだんです。ゆっくり歩けば、今、自分はどこにいるのか、周りを見ることもできる。周りを見られることは絶対にプラスになる」

 

IMG_0017.JPG横内:「浩ちゃんはずっとトップでいるでしょう」

里見:「トップじゃないよ。この間、今の助格(東幹久と的場浩司)に、『急にうまくなったとか、変わったなぁ』と言われることは役者として危険なんだと、話したばかりよ。要するに旬になっちゃう。だけど、旬という季節はすぐに終わる。『いつまでも変わらない役者だな。でも、ちゃんと見られるな』と、その辺りにいるのがいちばんいいのかなと思うんだよ。75歳になって、『水戸黄門』が終わった。これから本当にどうなるかなと思ったら『北のカナリアたち』という映画の話が来てね。吉永小百合ちゃんが出るというから、恋人役かなと思ったら、親父役だったんだけど(笑)」

横内:「浩ちゃんは本当に謙虚だから。謙虚で常に平衡感覚を持った人ということが、息の長い役者である理由なんだろうね。『水戸黄門』が終わる寂しさは、浩ちゃんがいちばん味わっていると思うけど、同時に、やりおおせたという充実感もあるんじゃない?」

里見:「それがね、『水戸黄門』が終わるから、京都の家を全部引き払って、東京へ荷物を運んだんだよ。そうしたら、また1月から京都で時代劇の撮影に入るんだ」

横内:「でしょう。そうなるんだよね()。ところで42年も愛された『水戸黄門』の魅力ってなんだと思います?」

里見:「簡単に言えば"家族全員で見られる楽しい明るい時代劇"。そして作品に日本人の心というものが常に流れていた。礼儀とかしつけとか、親子の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、目上の人を敬うこと、母親を大事にする心というものを教えていたんですよ。そういう日本人の心を、黄門というドラマはテーマにしてきた」

横内:「日本人の心が忘れられていくのは寂しい限り......」

里見:「だけどさ、19日放映のスペシャルは2時間なのよ。実は『水戸黄門』ってドラマは2時間もつ番組じゃないのに(笑)」

横内:「そんなこと言っちゃダメよ()。以前、2週で完結するストーリーにしたら、視聴者から『来週、死んだら結末が見られないから、1話完結にしてくれ』というクレームが来て、それ以来、2話完結ものはやらなかったと聞いたことがあるけど」

里見:「もし生まれ変わって、また『水戸黄門』をやるとなったら、僕はやっぱり助さんをやりたいね」

横内:「僕も今、格さんをやりたいなと思った。できたら、やっぱり浩ちゃんと僕の助格コンビでやりたいね。僕にとっても『水戸黄門』は"青春賛歌"だけど、浩ちゃんは?」

里見:「"人生の応援歌"!」

横内:「いいコメントだね!」

 

note対談は本日で終了です!!

2011年12月15日 (木)

横内:「僕は8年で『水戸黄門』から離れたけど、その後も浩ちゃんは助さんを続けて、引き続き黄門さまをやってきた。合わせて27年間も続けられた理由は何かな?」

里見:「助さんは僕にとって青春なんだよ。何も知らずに20歳で映画界に入って、35歳で助さんになるまで1516年。その間は時代劇の勉強の場、修行の場だったね。だから役者としての青春は、助さんのときに味わった気がするんだね。助さんは本当に楽しい役なのよ。だから、続けられたんじゃないかな」

横内:20代の役だったしね」

里見:2526歳かな。僕の実年齢より、助さんのほうが10歳くらい若いのね」

横内:「すぐに女を追いかけるフットワークの軽い男で(笑)。それを諫めるのが格さん。いつも僕が『助さん、いいかげんにしろ』と、諭したり、押さえ込むから、実年齢も僕のほうが里見さんより年上だと思っていた人もいましたよ」

里見:「気持ちとしては、助さんは、格さんのちょっと弟というふうに思っていたからね」

IMG_0054.JPG IMG_0054.JPG IMG_0054.JPG横内:「役のキャラクターは、僕と里見さん、ふたりで作ったものだと思うんですよ」

里見:「我々がレギュラーでやっているときは、お互いが相手を気にしたり、心配したりする仲の良さがあったね。なんてったって視聴率が良かったから」

横内:「歴代最高視聴率が43.7%? それって格さんが僕から代替わりした、大和田伸也のときだったらしいね」

里見:「あっ、そう?」

横内:「そうなんですよ。それをいまだに大和田が言うけどね、自慢げに()

里見:「何であんなに視聴率が良かったのか、正直言うとわからない。ただ、スタート当時、40代だった視聴者もいまは80歳すぎでしょう」

横内:「家庭のあり方も変わりましたよね。『水戸黄門』は家族団欒の象徴でもあったんですよ。おじいちゃん、おばあちゃん、子どもや、孫もいて。大家族が1つのテレビをみんなで楽しんで見た」

里見:「都会でも、2030年前はそうでしたけどね」

横内:「時代が変わったといえばそれまでだけど。そういえば、『最終回スペシャル』のロケ現場はよかったですね」

里見:「そうそう、美山町(現京都府南丹市)ね。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、茅葺きの家が並んでいてね」

横内:「たたずまいがいいね。最近は、山奥のほうまで道が舗装されているから、時代劇のロケは大変。アスファルトに砂をまいたりしてね。昔は真冬のロケは雪かきからスタートだった」

里見:「ホースで水をまいて、まず、雪を溶かして。そこを草鞋で歩くわけですよ」

横内:「下が濡れているから、雪解けの水で足がビチャビチャになる。そういえば、地下足袋に草鞋の鼻緒の絵を描いてくれる人がいたでしょう。黒足袋に草鞋を履いているように見えるように」

里見:「僕がこのごろ考えたのは、タビックスという足袋型の靴下をはいてから、サランラップを1枚かぶせて、その上から足袋をはくの。足袋が濡れても、サランラップのなかのタビックスは濡れない(笑)。冷たさは一緒だけど」

横内:「テレビを見ている人はわからない()。ところで、これはいちばん苦労したという撮影は?」

里見:「あんまりないけど、助さん時代に馬から落ちたことはあるよ。馬で悪人を追いかけるシーンで、カーブのところで鞍がツルンと馬の腹に回っちゃって。落ちただけならいいけど、左足があぶみにひっかかって、引きずられた。頭と腰をダンダン打ち付けられて、ひどかった......」

横内:「最悪の格好じゃない?」

里見:「そうそう。すぐに病院へ行ったけど、背中は打ち身の内出血で真っ黒だったけどね。頭は、かつらで助かったけど()

横内:「知らなかった。これだけ馬に慣れている人でも、そういうことって起こるからね。馬は危ないですよ」

里見:「そういう経験は何回もあるけど、意外に怪我には強いんだ。そのときも打ち身だけだったから。横ちゃんは怪我はしなかった?」

横内:「草鞋を履いて石段を駆け上がったときに、むき出しの足の親指をバーンと突き指したんですよ。いまだにその指が痛いときがある。ほっとくとバーッと腫れてきますけどね。でも、そういうのってみんな、ありますからね」

 

note対談は明日に続きます!!

2011年12月14日 (水)

横内:「当時は『ナショナル劇場』といって(現在は『パナソニックドラマシアター』)、スポンサーのキャッチフレーズが"明るいナショナル"だったから、とにかくライティングが隅々まで明るかった」

里見:「今でもね、夜でも昼でも、立ち回りとなったら同じライトを使ってるよ。『水戸黄門』に関しては、とにかくライティングにこだわっていて、準備に時間もかかったね。ローソクが燃えていても、周りが明る過ぎて、ローソクの火がわからないぐらい!」

横内:「火といえば、毎シリーズ、1話目は必ず火事があるんだ。どういうわけか、いつもそうでしたね」

『女性自身』記者:「格さんが印籠を出すシーンが定着したのは、横内さんのときからですよね?」

横内:「そうだね。最初はご隠居が袱紗に包んで持っていて、ここぞというとき僕に渡していたんだけど、いつの間にか、僕が常にふところに入れていて出すというのが定番になったね。本来は印籠は権威の象徴なんだから、ご老公が持っているべきだけど、受け渡しをしているとドラマのテンポも削がれるということで、格さんが持つことに落ち着いた」

里見:「そういえば、たまたま昨日、映画の『楢山節考』を見ていたら東野さんが出ていて懐かしかった。お百姓さんがよく似合っていて。でも、その東野さんが、金ピカの羽織袴で、白い小刀を差して光圀になったとき、きちっと光圀に見える。すごい人だと思うんですよ。助さんとして横にいて、涙がポロッと流れたことが何回もあるよ」

 

001.jpg 001.jpgのサムネール画像横内:「東野さんは抜きんでた何かを持っていましたね」

里見:「芝居に向き合う姿勢が違うのね」

横内:「それでも偉ぶることなく、みんなに交じって、からかったり、ふざけたり、いろいろやっていましたからね」

里見:「愛すべきおじいちゃんという感じでね。普段から"ご隠居"って呼んでいたし」

横内:「僕なんか、俳優座の大先輩でもあるので、本来は東野さんのことは"先生"と呼ばなきゃいけないわけですよ。でも、みんなが"ご隠居"と呼ぶのに便乗して(笑)。浩ちゃんは? 黄門役のときはどうだったの?"ご隠居"って言われてたの?」

里見:「やっぱり"ご隠居"と呼ぶ人が多いかな。五分五分だね。スタッフは"里見さん"が多いかもしれないね」

横内:「最終回スペシャルに参加して思ったのは、スタッフもみんな代替わりしていて、若い人たちばっかりになっちゃったこと。浩ちゃんが危惧しているのも、『水戸黄門』が終了して、これまでずっと培われてきた時代劇のノウハウを持っているスタッフたちが分散してしまうことでしょう」

里見:「うん......、これから時代劇をやると言っても、誰が何を教えるんだろうな。殺陣師もみんな年をとっちゃったし。大丈夫か、おい、骨が折れるんじゃないかというような人ばかりで()

横内:「時代劇に参加している俳優たちでも、殺陣とか基本を学ぶ機会がなくて、着物も着られないような人が大勢いるわけです。そういうのを見ると歯がゆくなるんだけど......」

里見:「本当に教えてあげたいね。舞台でも、斬られたとき、ただ走って袖に消えていくだけの連中もいる。『おいおい、君たち、どこを斬られたんだ?』『お腹を斬られました』『お腹を斬られてあんなに走れるか?』とかね。本当は斬られ役によって、舞台に芯が立つんだ」 

 

note対談は明日に続きます!!

 

2011年12月13日 (火)

TBSの長寿時代劇『水戸黄門』が1219日で、ついにその長い歴史の幕を閉じます。

放送回数は実に1千227回。'69年8月のスタート以来、42年5カ月に渡る"世直しの旅"でした。

横内は第1~8部まで"格さん"として出演。里見浩太朗さんは、第3~17部で"助さん"を演じ、第31部以降は"黄門さま"として、『水戸黄門』を支えてきました。

同時期に助さん格さんとして、東野英治郎の初代黄門に仕えた2人が、当時の思い出話を語ります!

 

 

IMG_0279.JPGのサムネール画像

 

横内:「やぁ、浩ちゃん、またお会いしましたね(笑)」

里見:「(『水戸黄門』の)最終回スペシャル(1219日放映予定)の現場以来だね。あのとき、"格さん"が4人来て、同じセットで一堂に会したわけだけど......」

横内:「僕は初代格さんでしたが、二代目の大和田伸也、三代目の伊吹吾郎、それにいまの的場浩司くんも集まったね。ほかにも三代目助さんのあおい輝彦や、うっかり八兵衛の高橋元太郎、由美かおる、(飛猿の)野村将希......、にぎやかな撮影になったね」

里見:「本当に感慨深いものがあったよ」

横内:「まるで同窓会のようだったねぇ」

里見:「『水戸黄門』で、強く印象に残っているのは、初めてのポスター撮りですよ。東野さんの黄門さまの前に、僕と横ちゃんが並んだとき、東野さんが『浩ちゃんは初めて来たんだから、僕は、浩ちゃんの肩に手をおくよ。いいね?』と、横ちゃんにも確認してね。あぁ、この人は優しい人だなぁって」

横内:「浩ちゃんは第3部からの出演で、最初からのメンバーじゃなかったから、雰囲気に入りにくいといけないという東野さんの気遣いだったんだろうね。でも、実は第1部と第2部にも出演していたよね?」

里見:「そう、ゲストでね。第1部では、将棋の駒を作る職人の役。そして第2部では、チンピラ役(笑)。おふくろの墓参りをするために、田舎に帰ってくるヤクザで。冒頭で黄門さま一行に出会って、『おう爺さん、どこ行くんだ?』みたいな感じで、一緒に旅をして。もちろん印籠のシーンもあるんだけど、僕はその場には居合わせなくて、"爺さん"が水戸光圀であることは最後まで知らない。 ラストシーンで、『おう爺さん、もう行くのかい? 今度はどこへ行くんだい?』って。いまはみんなが最終的に、ご隠居の正体を知っちゃうけど、そういう役も面白かったね」

横内:「それにしても本当に細かいことまでよく覚えているね。僕はそこまで記憶してなかったよ」

里見:「でも横ちゃんは、NGが少なかったよね。東野さんがいちばん多かった(笑)」

横内:「そうだった?」

里見:「その次に多いのが僕。横ちゃんは、ちゃんとセリフを覚えて来てたからね」

横内:「嘘だ、嘘だよ」

里見:「新劇出身の横ちゃんと違って映画出の僕なんかは、ずぼらの習性がついちゃって、セットで覚える癖がついてる」

横内:「僕も浩ちゃんを見習って、セットで覚えられるようになったけど(笑)」

里見:「NGが多くなりがちなのは歩きながらの撮影だね。長い道で移動車にカメラを載せて、僕らがしゃべりながら歩いていくところを撮るんだけど、遠くから車のクラクションが入ったり、普通の人がちょっと映りこんだり、いろんなNGの要素があるんだよ。覚えているなかでは、東野さんは(撮影が)A、B、C......H、Iまでいったの。9回NG。『ご隠居、いい加減にしろよ』なんて言ってたら、次に僕が連発して。僕はH、I...Lまでいった(笑)」

横内:「12回!(笑)」

里見:「うん。当時はビデオではなく、フィルム撮影ですからね。NGを連発すると、カメラマンに低い声で『ただじゃねぇぞ、フィルム。ただじゃねぇぞ』って、よく言われたね(笑)」

横内:「格さんが黄門さまに報告をするシーンで、『○○藩と××藩が、かくかくしかじかで、ああしてこうして・・』というものだと、その場で覚えようとしても、なかなか難しくて」

里見:「山村聰さんに、『里見君、セリフを覚えるのは70パーセントでいいよ』と教えてもらったことがある。『人間というものは、しゃべるときに、考えながらしゃべるんだ。だから残りの30パーセントは考えながらしゃべるんだ』って」

 

note対談は明日に続きます

 

2011年11月22日 (火)

今日は恒例のカレンダー撮影。毎年、私のカレンダーを作ってるんです。
最初は、私のグッズの1品としてつくってたんですが、色々、知人たちから求められたり、差し上げたい人たちが増えてきて、商品としてじゃなく、「本年もよろしく」との想いを込めて、皆さんに差し上げる様にしたんです。
それが、年間行事となって、毎年この頃になると、カメラマンお気に入りの場所をロケハンして、そこで撮影するわけです。

都心のド真中に、この様な閑静な場所があるものだと思える素敵な場所でした。去年は、早稲田の校区内にある、簡素で落ち着いた雰囲気の教会の礼拝堂をお借りしてのロケ。今年は等々力渓谷。カレンダーの仕上がりが楽しみです。

でも毎年思うことですが、シワの一筋一筋に年輪がありありと写し出されていることは、当然のことだけど、いささか寂しくもありますネ。

そんな私にも、デビューして間もない頃、「アイドル時代」?がありましてね。これでも、「ブロマイド」をつくって販売してたことがあるんです。
スターやアイドルのブロマイドを一手にあつかってる店が浅草にあり、その店の名は確か「マルベル堂」でしたか?
ちっちゃな店でしたが、壁一面に何百何千ものブロマイドが貼られて微笑みかけていました。
店の奥か、2階だったか、これ又おもちゃみたいな小さなスタジオがあり、恐らくマルベル堂の御主人がシャッターを押してたんじゃなかったかナ。私も、つるんつるんの肌で、まるで殻をむいたユデタマゴ。私としては、今の自分の白いヒゲ面の方が好きですネ。

2009年に初演した、ロンドン・ミュージカルの「マルグリット」に出演した時、作家・演出家他メーンスタッフが夫人同伴でのお別れパーティーが劇場ロビーで催されましてネ。
その時、私のグッズの中から特に日本的な布織の財布等と一緒にカレンダーも差し上げたんです。

デザインは、私のスッポンポンの幼児の頃から、俳優人生からピックアップした出演時の扮装スナップをイラストしたものでした。
そんなカレンダーが、私の代理として、ロンドンまで飛んでいったんです。快哉!!

来年も心ある私のファンが、御自分の部屋に貼って下さると嬉しいですネ。では又。

横内 正

2011年11月11日 (金)

「水戸黄門」の撮影も、いよいよ今日(11日)クランク・アップ。

7日は、早朝から仁和寺ロケ。大勢の侍たち、野武士軍団、百姓衆に変装した武士のグループ。
そこに黄門主従の里見、東、的場、内藤剛志、林家三平さんに加えて、元格さんの私、大和田伸也、伊吹吾郎さんと、今回ゲストの皆さんが参加して、同窓会の様でした。

野武士に扮した俳優の中には、日頃時代劇といえば必ず敵役として登場するおなじみの顔触れが何人も~。
秋日和の、やや肌寒い空気の中、皆の醸し出す熱気で身体もほてります。
この先、こういう現場で、こういう顔合わせでの時代劇の撮影はめったにないでしょうネ。

先ず、昼食後に、早朝からの生放送を済ませて東京から駆けつけて来たのが、みのもんたさん。
大拍手の中を家老役で颯爽と登場したみのさんも、抜いた刀を鞘に収める所作で大苦戦。
私の個人指導でもうまくいかず、「あ~ァ、こんなことならちゃんと稽古しとくんだったナ」と嘆き節!

続いて、野村将希、雛形あきこさんが現れ、最後に登場したのが神田正輝さん。
劇場用の映画ロケでも、これ程にぎやかじゃないだろうナと思われる程の数の出演者に、風光明媚な仁和寺ならではの観光客も加わって、テレビ、雑誌の取材陣と、そのにぎやかな事!

そして、ロケ終了後、夜は京都市内のホテルでの「水戸黄門、感謝の会」の名称でのサヨナラパーティー。
ロケ現場には現れなかった、うっかり八兵衛の高橋元太郎さん、霞のお新の宮園純子さん、若い頃(?)から全くかわってない由美かおるさん、風間トオルさんと、皆さん大勢に囲まれて同窓会が展開していました。

コロッケちゃんや西岡徳馬さん達は、撮影を終えた日に早々に帰京。残念ながら会えませんでした。

最後に里見さんが新曲を披露。
白いヒゲの黄門さまには似つかわしくない艶のある美声が会場内に響き渡り終宴となりました。

42年間も続いた、放送史に残る国民的怪物番組も、突然幕を下ろすことになりました。
若い世代の皆さんには、「古くさい時代劇なんて!」と思う方も多いでしょう。でも、日本中のお年寄り、ドクター、大学教授から、魚屋、八百屋の親父さん迄、幅広い世代に愛され支持されて、今でも日本中の何処かで、必ず誰方かの黄門様、助さん格さんが、TVに登場してるはずです。

私は格さんを8年間で卒業、引き続いて松平健さんの「暴れん坊将軍」で、大岡越前役を長い間演じてきました。
でも、こうして皆さんと久しぶりに顔を合わすと、極く自然に格さん時代にタイムスリップしてしまうんですネ。
今回、私は自前の白いヒゲで御老公との共演。
現場では皆さん白いヒゲの私を似合う似合うと喜んでくれ、放送時にはきっと、年を経た私を、懐かしく楽しんで下さるのではと思います!

12月19日午後7時からの「水戸黄門2時間スペシャル」楽しみにお待ち下さい。
本当に本当に長い間御苦労様。又、皆さんと何処かでお会いしましょうと、京都に別れを告げてきました。 

では、又、

横内 正

2011年11月 2日 (水)

久しぶりの京都。昔から随分と通った東映撮影所。水戸黄門から暴れん坊将軍。その頃、時を同じく十数本出演した、山村美紗サスペンスでの狩矢警部。同じ仕事場に、これ程長時間通うことになるとは、はじめの頃思いもしませんでした。

思いかえせば、6年前(2005年)の8月某日。「水戸黄門」シリーズの1本にゲスト出演が決まり、京都にカツラ合わせの為に出向いた日でした。あの「婦人公論」に「衝撃の告白!!」記事が掲載されたのは。私はそんな事は何も知らずに、スタッフの皆と和気あいあい。カツラ合わせを済ませ、「それじゃあ、撮影日に又会いましょう!!」と撮影所をあとに京都駅に着いたところへ、事務所からの緊急連絡!!マスコミが行方を追っているから充分気をつけてお帰りを......との事。その日から始まった都内某所での隠遁生活。それこそTVは連日大騒ぎ。勿論、水戸黄門の出演どころじゃなく、急遽、私の代役に、3代目格さん役をつとめた伊吹吾郎さんが決まり、私と京都との深く長かった縁は、そこで絶たれてしまったのです。
以来6年。当時の騒ぎが、まるで別世界での出来事のような、すがすがしく懐かしい想いで東映京都撮影所の門をくぐりました。
今回の作品、43年間も続いた怪物番組、水戸黄門の最終打止めを飾るスペシャルです。そこで、今迄、レギュラーや、数多くゲストや仇役で登場した俳優たちが、大挙出演しての最終回スペシャル制作となったのです。
私はと云えば、里見黄門様と同年代の、頑固な主君御老公想いの家老?格さんの奥さん「深雪」の父親役。そう云えば、私が格さんの時も、愛妻、深雪と可愛い息子格之助がいましたネ。的場浩司さんの格さんの前で、その赤ちゃん、つまり孫を抱いての芝居は、何ともくすぐったい限り。
監督もスタッフも、殆ど皆さん若返り、撮影所内も、随分と綺麗にリニューアルされ、清潔な明るい雰囲気。
そんな中で、時代劇をつくり出す情熱と愛情は、しっかりと皆さん受け継いで、現場には心地良い緊張感と、アットホームな明るさがただよっています。
若かりし頃、助、格コンビで常に一緒だった里見さんと二人、今回は白いヒゲをはやしての共演。つくづく時の流れを感じますネ。
このあと、クライマックスでの大勢の懐かしい皆さんの登場が待ってます。そして、打ち上げパーティーには、東京からもっと多くの仲間達が駆けつけて来る事でしょう。
次回は、そんなこんなの様子等、ご報告しましょう。

                          横内 正    京都にて。

女性自身ブログトップ
女性自身PCサイト

プロフィール

横内正

■横内 正(よこうちただし)
■1941年7月1日生まれ、福岡県出身。俳優座養成所・第13期生。人気時代劇『水戸黄門』(TBS)の格さん役、『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)の大岡忠相役ではお馴染み。近年は、NHKの大河ドラマ『風林火山』をはじめ、舞台、ラジオ、バラエティー、旅番組などに精力的に出演。また、その渋く低音の魅力で声優業や多くのナレーションも手がけている。趣味は500玉貯金、特技は餃子を速く作ること。

■TYプロモーションホームページ http://www.ty-pro.com/

2012年1月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31